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北京の観光スポット

天安門 天壇公園 十三陵 景山公園北海公園 北京胡同 紫禁城 盧溝橋 万里の長城 頤和園


天安門天安門  北京のシンボルともいえる天安門は、1417年に明代の永楽帝の時代に宮殿の南門(承天門)として築かれた城門である。 独特の紅殻色の城壁の上は黄金の瑠璃瓦の城門、白い大理石の欄干、高さは34m。壮大な建物がその威容を誇ってそびえている。
ここは紫禁城(故宮)の入り口にあたり、明や清の時代には歴代の皇帝即位の詔が発せられた場所である。特に1949年10月1日、毛沢東主席が中華人民共和国の建国宣言した場所でもある。
天安門の前は天安門広場である。
天壇公園天壇公園 は1420年に建設された中国最大(270万平方km)の壇廟である。明・清の皇帝が毎年豊作を祈った場所。明代の永楽帝が15世紀半ばに建設し、以来明・清代の皇帝たちが五穀豊穣を祈った。「天円地方」思想から、北側は半円、南側は方形になっている。天壇の配置は“回”字形になっていて、内側の内壇と外側の外壇に分けられる。内壇と外壇の壁の総延長距離はそれぞれ、3292メートルと6416メートル。最南端の塀は方型で大地を象徴しており、最北端の塀は半円型で天を象徴している。また北を高くし南を低くすることで、天地を表現している。
天壇の主要な建築物が集中しているのは内壇の基軸の南北両端で、そのうちの一本は丹陛橋につながっている。南から北に向かい、園丘壇・皇穹宇・祈年殿・皇乾殿などがある。祈年殿は傘を広げたような3層の青い屋根をもつ円形の建物。高さ38メートル、直径30メートルで、釘は全く**われていない。天壇のなかで最も美しい建物だ。この南側にある皇穹宇は皇帝と先祖の位牌を安置する場所。内部の灰色の壁は回音壁と呼ばれ、壁際で話す声がよく反響するように造られている。さらに南側に圜丘がある。ここは皇帝が天に祈りを捧げた場所で、3層の大理石の壇でできている。天壇の設計は巧妙で、色彩の調和・建築芸術はずば抜けており、国内でも抜きん出た存在である。1998年世界遺産に指定された。
十三陵十三陵 北京の北約50キロメートルに位置する一大陵墓群である。15世紀初頭の明朝の3代皇帝「永楽帝」から7代目皇帝を除く16代皇帝まで13人の陵墓が散在している。現在一般公開されているのは、「永楽帝」の陵墓である「長陵」、12代皇帝隆慶帝の陵墓「昭陵」、そして14代皇帝である「万歴帝」の陵墓「定陵」の3つだけ。「長陵」は13陵のうち最大最古のもの。「長陵」までの参道にはズラリと石像が並ぶ。いちばんの見どころとなるのが「定陵」。特徴は地下墳墓であり、深さ27mに地下宮殿が建造され棺とともに副葬品が置かれていた。 十三陵は 2000年はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
景山公園景山公園 北京市の中心,故宮の北にある面積23万メートル余りの公園。公園にある景山が高さ43メートルで、頂上にある万春亭から故宮や北京市の中心部の町並みの風景が一望できる。
景山公園は金代(12世紀)に公園の西側にある北海をほった際に出た土砂を積み上げた場所を庭園にし、明の永楽帝の時代には紫禁城の外壕「筒子河」を掘った際の土砂を更に積み上げた。当時「万寿山」と命名されたが、清の時代に景山と呼ばれるようになった。
1644年3月19日、明の宗禎帝が李自成率いる農民蜂起軍に攻撃されたとき、皇后と皇女を自ら殺害したのち、自分も景山の麓にある木で首をつり命を絶ったのもここ景山である。
北海公園北海公園 北海公園は霊山(瓊華島)・秀水(北海)・白塔で知られる王室御園だった場所である。瓊華島にある白塔は1651年に建てられ、高さは35.9メートル、白塔の土台(須弥座)はレンガと石で築かれている。鬱蒼と生い茂る松柏の間に殿と閣が林立し、これらの殿や閣は水際を通る回廊でつながっている。公園南門の西側にある団城は北京城の中の城であり、団城の真中に承光殿があり、城台の上に金の時代に植えた樹齢800余年の松の木がある。
北京胡同北京胡同は北京特有なもので、日本語で言えば路地や横丁のようなものである。北京の伝統的な民家・四合院が並ぶ横丁、平屋の集落で形成した古き良き町並みである。元・明・清の三時代に築かれ、再開発が始まる前の北京は概ねこうした胡同で形成されていた。故宮から遠い庶民の住む北京胡同は建て増しが続いたため並びも雑多で、その配列に規則性は見出しにくいが、故宮に近い皇族の邸宅が集中する地域の北京胡同は南向きで道に沿って東西に整然と並んでいる。
主塔の南北両脇に建つ2基の小塔は、大理国時代の1001年から1125年の間(宋の徽宗年間)に建てられた。高さ43m、10層の八角形をした塔である。 これら3基の塔は、1925年にこの地を襲った大地震の際にも何事もなく残り、古代の耐震設計も評価されている。  現在、三塔の周辺は公園として整備されている。公園内には池も整備され、池に映った三塔の姿は美しく、大理のシンボルとなっている
紫禁城紫禁城 紫禁城は「故宮」とも呼ばれ、北京を主都とした歴代皇帝の居城。面積は725000㎡あり、世界最大の宮殿の遺構である。。宮殿造営が始まったのは明時代の1406年で、完成まで約14年をかけた。明代14人、清代10人の歴代皇帝が約500年に渡り生活した場所として、最高権力の中枢として、その歴史的重みにより現在も訪れる人々にその威厳を示している。
約1キロ四方の敷地に800の建物が立ち並び、部屋数は9千に達する。この壮大な宮殿は、中国皇帝の比類なき権勢を誇示するために築かれた。「皇帝こそが世界の中心におわす者である」、すべてはこの1点を目に見える形で示すために造られている。
建物の配置は中国の天文学に従い、北極星(天帝)を皇帝になずらえ、地上に「紫微垣」を再現し、「天子は南面す」の言葉どおり、北に皇帝の宮殿が置かれている。
広大な城内の宮殿内部は、歴代皇帝が私生活を営んだ内廷と、政治執務や儀式などが行なわれた外廷に分けられ、内部には明・清時代の家具や陶器・衣装・装飾物・絵画・時計のコレクションなどの文物がる。これら約100万点以上が、中国最大の博物館「故宮博物館」として一般公開されているのである。  
盧溝橋盧溝橋 盧溝橋は北京市の西南部にある豊台区に位置し、永定河の上に跨って造られた。1192年に完成した橋脚部に11のアーチを持つ石橋。マルコボーロ橋とも呼ばれる。北京地区で現存する最も古い雄大なアーチ型の石橋、北京八景と呼ばれる月の名所、「東方見聞録」の中で世界一美しい橋である。全長は260メートル、幅9.3メートル。欄干の柱頭にさまざまな姿をした石の獅子が彫られており、その数は492にもなる。
橋の床石は張り替えられているが真ん中の部分には創建当初の床石が残っており、橋の東側には清の乾隆帝親筆の「盧溝暁月」石碑が建てられている。
万里の長城万里の長城 は宇宙から確認できる建築物、中国の古代文明のシンボル、世界文化遺産に登録され、世界に知られた古代中国の防御建造物である。延々と1万2700里に及んでいることから「万里の長城」と呼ばれている。
北京市街から北に約60km行ったところにある八達嶺長城は修復が施され状態が最もよく、万里の長城の中でも代表的な区間となっている。北京近郊には他に、金山嶺長城・慕田峪長城・司馬台長城・居庸関長城などの長城がある。
八達嶺長城は北京市北部約70㎞の延慶県にある。関所の城楼は明の弘治18年(1505年)に建造され、城楼の東西両側に門が一つずつあり、額として東の門の上に「居庸外鎮」の四字が彫ってあり西の門の上に「北門鎖鑰」の四字が彫ってある。
 八達嶺長城はとても壮観で城壁の高さが平均7.8メートル、その土台が重さ500キロの大きな花崗岩で築かれている。城壁の上では馬なら5頭、人なら10人が並んで進むことが出来る。
頤和園(いわえん、summer頤和園(いわえん、summer palace) は世界の最も有名な古典庭園の一つ、中国を代表する皇室庭園、中国に現存する最大の王室公園である。北京市街地の中心部から約15キロ離れた、総面積は290万㎡、清末には重要な政治の舞台となった。
1750年、乾隆が円明園と同時に建設を開始した清漪園がその基礎となった。1888年、清朝の慈禧皇太后は海軍の軍費を流用して再建し、今の名称である「頤和園」に改めた。庭園は万寿山と昆明湖からなり、すべての建築が山と湖の形に基づいて、巧みに配置され、借景、造景の芸術も採用され、景色の変化に富んでいる。仏香閣、長廊、仁寿堂、十七孔橋、諧趣園、蘇州街、石坊が主な見所となっている。
清晏舫(せいうんぼう、石舫=石船)は清代の乾隆帝の時代に建造された。船の部分は当時のものであるが、上部の建物は1860年の英仏連合軍が北京に攻め入った時に焼失し西太后が建て直された。


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